(続) 広島弁の「おいい」をどう書くか悩んどる件

CIMG7466そのつもりでもなかったんじゃけど、考えるのが面白うなったんで、「おいい」をもうちょっと突っ込んでみよう。
「多い」の活用は

(未然形)多か(ろう)
(連用形)多く(ない)
     多かっ(た)
(終止形)多い
(連体形)多い(とき)
(仮定形)多け(れば)
(命令形)なし

となる。
一方「おいい」の方は

(未然形)おいか(ろう)
(連用形)おゆー(ない」
     おいかっ(た)
(終止形)おいい
(連体形)おいい(とき)
(仮定形)おいけ(りゃー)
(命令形)なし

となる。
連用形の「おゆーない」は「おいくない」の「い」→「ゆ」の音便化と、「ない」の前のウ音便化だろう。
「い」→「ゆ」は「言う」→「ゆう」とか普通にあるし、動詞の前のウ音便も西日本ではよーあるじゃろう。
というふうに考えとると、面白い記事が見つかった。
これによるとツイッターで「三カ月前までより戻したいとゆっていた男が…」という表現が馬鹿みたいだと炎上したという話。
大辞林には

中世ごろから終止形・連体形の「いう」が融合して「ゆう」と発音されるようになり、「ゆ」を語幹として活用させる形も生じた。現代でも話し言葉では終止形・連体形は「ゆう」と発音されるが「いう」と書く。

と書いてあるらしい。
ここでの問題は、「ゆった」という表現自体がどうかということと、それを表記する時そのまま音通りに書くかどうかに分けられるじゃろう。
「い」「ゆ」の変化や「っ」「ー」の変化は今でも頻繁に起こっとるんじゃけん、そう問題にはならんと思う。後者の話し言葉と書き言葉の件は、どっちでもええんじゃない?と思う。

今でこそ話し言葉でいろんな文章を書くのは普通じゃけど、伊丹十三がエッセイで使うたんが最初だと、数十年前に文庫の後書きで読んだような気がする。伊丹十三が「ヨーロッパ退屈日記」を書いたのは1962年で、それ以前はもっと固い書き言葉で随筆とか書かれていたと言う。
話し言葉で文章を書く歴史は、まだ50年そこそこなわけよね。これからも表現はドンドン変わっていくんじゃろうね。

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