コロンボからミステリーの今昔を考える

800px-Peter_Falk_Richard_Kiley_Colombo_1974BS-TBSで放映されている刑事コロンボを録画しておいてよー見る。全編が終わるとまた最初から再放送しとる。ていうか、今までにコロンボはもう限りなく再放送されてるんだろう。しかし、落語みたいに何回見てもやっぱり面白いのはドラマとしてよくできとる証拠で、特に吹き替えが成功した代表例だ。CSの海外ドラマでは、吹き替えの2か国語版と字幕版の両方が放映されることが多いが、これは必ず字幕版を見ることにしとる。
じゃけどコロンボは別で、たまたまCSで字幕版を見ると、吹き替えとまるっきりイメージが違うてものすごい違和感がある。よくあんな原版よりコロンボのイメージに近い優れた吹き替えができたよなあと思う。最初の日本版制作スタッフや、翻訳の額田きみ子、吹き替えの小池朝雄、石田太郎などの勝利じゃろう。

しかし、1968年から始まり、新シリーズが1990年代と随分昔の撮影なので、今見ると突っ込み所が満載だ。特に電子機器は違いが目立つ。
先日見たエレメンタリーでは、犯人が証拠となる劇場の録画用ハードディスクを持ち去って金庫に保管していたが、コードもついててけっこうなサイズだった。昔ならビデオテープを抜きとるだけでよかったのに。DNA鑑定もないし鑑識も今ほどじゃない。今はそこら中に防犯カメラがあるし犯罪もやりにくくなった。
今の目から見ると、それじゃあ公判維持できんじゃろう、とかそれ以前に起訴さえ無理と思われるのもおいい。昔のミステリーは小説もドラマものどかだった。主眼は犯人との駆け引きとかに置かれている訳で、それはそれで面白く、あんまり突っ込んじゃいけん所。

警察内部の権力構造なども、今のドラマでは既知の前提としてあるが、昔はそこまでじゃなかった。小説でリアルに書きだしたのは1990年代初頭の高村薫、大沢在昌辺りからじゃないかと思うがどうだろう。
ついでだけど、警察ドラマの原型は、エド・マクベイン原作の87分署シリーズじゃないかと思う。日本での放映は1962年で、それをモデルにして日本の刑事ドラマが発進したんじゃないか。
ついでのついでに、裁判員裁判と聞くとなぜか「裁判in裁判」という文字が浮かんでくる今日この頃。昔は受託収賄罪を自宅収賄罪となんとなく空耳しとって、そんなわきゃ無いよなと思いつつも自宅で金を受け取ったんかと突っ込んどった。自宅じゃなきゃ良かったのに。

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